sigma_shaf_34’s diary

色々あった女子学生の暗めなブログです

元彼が死んだ話

僕去年の2月から付き合ってた彼氏がいたんですね。12月頭に別れましたけど。

その人とはオンラインコミュニティで知り合って、僕の中学の卒業生だったことから仲良くなって付き合い始めたんです。歳も彼が2個上な位でそんな離れてないし、彼も家庭環境とか色々あって自称経験者だったので話も合ったんです。そんな彼氏に12月頭突然振られました。理由としては「これから自分がやりたい事とsigmaとの時間を両立出来る自信が無い。sigmaに辛い思いをさせるなら新しい幸せを早く見つけてもらった方がいい」との事でした。最後まで優しい僕の彼氏。

その五日後、彼は部屋のドアノブに首を掛けました。腕には無数の傷があったそうな。

遺書に僕の名前が出てきたので僕の周りではまぁまぁな騒ぎになりました。

最期まで僕のことを気にかけてくれた優しい元彼、暫くは彼の事を忘れることは出来なさそうです。

ある日家に帰りたくなくなって彼に電話をかけたら北千住まで一緒に逃げてくれたこともありました、懐かしい。

色んな思い出もあるんです。一緒に泣きながらリスカしたこともあった、互いに手当し合うとか言うカオスな状況になったけど。

眼鏡もお揃いで買うくらいには仲良くしてました。1番安いフレームだったけどそれだけでもう幸せだった。

彼が死んだと知った時今まででいちばん深くリスカしました。

んで次にしようとしたのが首吊り。中原中也も言ってましたよ。「愛する者が死んだ時には、自殺しなきゃあなりません。」ってね。

カーテンレールにネクタイ掛けていざ、って時にふと冷静になって思ったんです。このレール耐荷重いくつだろう、って。

後遺症残るのも嫌だし他にかけられるところもないし諦めてリスカして病院行きました。

また縫ったよ。

その少し後に入院したのでこれきっかけで調子崩したのもある。ほんとに好きだった。

僕があの時引き止めてたら何か変わったのかな...とか、あの時死にきれてたらまた会えたかな...とか。未練タラタラですよホントに。

ましゃのライブも行けてないし、テニミュ行こうって言ったのに行けてないし、行きたいところもやりたいことも沢山あったのに、選択ミスったかなぁ...って。

恋愛って慎重にやった方がいいですね。

衝動的なのも情熱的で悪くないんですけどほんとに一瞬ですから。

SCPのアイギアで言うギアーズ博士の気分ですよ↓(読めばわかる)

In His Own Image: Epilogue - SCP財団

最後までありがとうございましたっ。

 

僕とリスカ

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リスカを始めたのは小6の冬です。

当時中学受験を望んでいた僕は、出願準備等何も用意ができてない状況を知り絶望に浸ってました。親が準備してくれるって言ってたのに、まるで受験のことなんて知らないような。

元々イラついた時に口の中を噛んだり、手や腕を引っ掻いたり、髪の毛を抜いたり等の癖があったのでリスカの存在を知った時は僕にピッタリだと思いました。実際ピッタリでした。

最初は血が出るか出ないかくらい。そして段々と深く大きくなり出血量も増え、治りも遅くなっていきました。そうすると必然的に親バレする確率が上がるわけですよ。

まぁバレました。

でも中3までバレなかったので結構時間稼ぎできたと思います(笑)。夏にずっと長袖着てたんで怪しまれて「もしかして切ってる?」

確定演出。結構怒られました。

そこから2ヶ月くらいのリス禁に成功。再び再発。得物をカッターからカミソリに変えたのもあってさらに深くなっていきました。

脂肪まで見えてぱっくり開くくらいには。

初めて縫ったのは中3の12月でした。

救急外来でステープラーがちゃがちゃ。

デポジットで10000取られた時は焦りましたよ、いつも埼玉県の魔法の緑カード使ってるんで()

もう抜鉤しましたけどね、痕は残ってます。

↓赤い点々が針の後です。
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深さは3~4mmくらい、まだ浅い切創ですね。

右腕の方が傷が少ないので思いっきり開いちゃって、左よりも針数は多かったです(15針くらい?)

当時なかなか血が止まらなくてTwitterのFFさんに相談した思い出があります。とりま相談大事。

とある記事によると、だいたい2mm~くらいの深さから縫合を考える必要があるそうです。
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↑だいたいこんくらい

自分は縫って上の傷痕くらいになりましたが、縫わないとこうなります
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はこれは左上腕部の傷ですが、脂肪等の皮下組織が見えてるにもかかわらず縫合をしなかったため、開いたまま皮膚が形成され割とデカく痕が残ってしまったものです。

やーねほんと。

でもね、ぶっちゃけ反省も後悔もしてないっすよ。

だってこれがなかったらここまで生きて来れなかったもん(笑)

多分中一くらいで飛び降りてますよ。(未遂)

よく頑張った、僕。偉いよ。

経験があるのもあって僕自身自殺願望や自傷に対してどちらかと言うと肯定的というか、寛容な立場を取ってます。

この社会何故か生きることを強要され、

「生=素晴らしい、尊ぶべきもの」

という方程式が脳髄に刷り込まれてると思うんですが、必ずしもそういう訳では無いんですね。

死で救われる人もいれば、死してなお苦しむ人もいる。生を楽しむことができる人もいれば、生に縛られ楽になれない人もいる。

多様性を重視するこの世の中ですが、あらゆる死生観や、哲学に寛容でないこの世界、生きづらいと思います。仕方がないけど。

だからね、死にたいって思っても、自分を傷つけたいって思ってもいいと思うんです。

でもどうせやるなら自傷に留めておいた方がいいですよ、死んだら何も変えられないから。生きてる限り未来の可能性は何も否定できないんです。死んだらもう何にも干渉出来ない様な気が僕にはするんです。

量子の不確定性によりラプラスの悪魔も古い概念となってんだからその不確定性に則って可能性にかけてもいいんじゃないでしょうか?量子論も味方に着いたような気がしませんか?僕だけですか、そうですか...

医療保護入院した話

実は僕2022年のクリスマスイブから2週間ほど精神科に医療保護入院してました。

その時の話をしたいなと。

まず24日、いつものメンクリの診察日だったので行ったんです。その前日に父親と揉めて色々あったのもあってほんとにその日は調子悪くって、しかもリスカ縫ったあとだったので主治医(通称:ダイヤモンドリング院長)に「入院した方がええから紹介しとくわ」と言われ家の近くの病院に即日入院することになりました。

軽く診察したあと病棟に入れられたんですがまさか拘束されるとは思ってなくて。

僕入院したとこの先生の事Dr.キノコヘッドって呼んでるんですがその人に「今日からベルトさせてもらいますね。あ、私物の持ち込みは原則禁止となってます」と言われてまぁ焦りました。

音信不通になった理由はそれです。

その後めっちゃええ匂いする部屋持ちさんに病室まで案内してもらって、バトンタッチしてから着替えたりベルト付けたりで消灯時間もすぎてたんでその日はそのまんま寝ました。

朝6時に点灯で目が覚めて部屋持ちさんに体温計渡されて測ったりなんだりしてたら朝食。毎日8枚切りの食パン2枚とジャム、牛乳とプラス1品みたいな感じでした。

歯磨きとかも出来ないんでガーグルベースにうがい。

その部屋持ちさん夜勤だったので朝食後日勤さんに交代しました。

この後日記形式で書いていきます。

25日(日)

リスカの処置を軽くしてもらった。ほとんど寝たきりでやることも無いしマジ暇だったし、何より日勤さんがリスカに対して否定派だったのでまぁまぁダメージ食らった。本来ならコミュニティの最後のオフ会があったのに参加出来なかったのも残念。

夜勤さんは普通に優しかった。

 

26日(月)

PCR検査とCT検査、血液検査があった。

PCRもCTも初めてでPCRマジ痛かったけどよく耐えた。CTはあっさり終わった。

採血って三本もとられんの?多くね?と思ったけど後から聞いたらそんなもんだった。その後診察もあってDr.キノコに抜鉤して貰った。その時診断名も新しくもらった。(境界性パーソナリティ障害)

抜鉤してる時めっちゃ話しかけてくるけど痛いから返事が曖昧になってしまう。けどかわいいからいいや()

 

27日(火)

午前と午後1時間ずつ解放されるようになった。とりま暇だしOT(作業療法)に参加してた。お絵描きしたりしてた。友達いなくて寂しかったけどきっとそんなもん。でもみんなお喋りしててやっぱ寂しい。

 

28日(水)

今日も1時間ずつの解放でOTやってた。

ただ午後は疲れたんで部屋で座ってた、まじやる事ない。せめて本が読みたい。ガリレオとか梶井基次郎とかハリポタとか読みたい。はよ私物入れ。

 

29日(木)

2時間ずつになった。せっかく時間が伸びたので友達作りに挑戦してみた。

とりま年が近そうな女性2人に声かけてみた。なんと1人は同い年。びっくり。

Saucy Dogのバンドスコア読んでた。OTにギターが出るので弾くんだそうな。エレキやってたらしいので多分アコギもうまい、てかうまかった。楽しかった。

 

30日(金)

今日も2時間ずつ。昨日仲良くなったRちゃんに教えて貰いながらギターでシンデレラボーイ弾いてみた。できると楽しい、退院したらギター買おう。でも明日からしばらく年末年始でOTも無いんだなぁ

 

31日(土曜日)

今日も2時間ずつだったけどOTがないのでRちゃん達とずっと歩いてた。多分5kmくらい。

祝日扱いで中庭も出られんしてかそもそも大晦日っていう自覚がない。お蕎麦出たけどあんまり美味しくなかった。

 

1月1日(日)

あけおめ。一応0時までテレビついてたらしいけど僕みんなと一緒に見れなかった。

朝おせち出たけどマジで不味い。あの里芋と黒ごまの甘いやつなんなん、不味すぎる。

なんか企業の人が駅伝やってた気がする。正月からよく走るねすごいよ。

 

2日(月)

駅伝やってたから暇だしちょこちょこ見てた、マジでやることねぇ。未だ2時間だし帰りたすぎて泣けてくる。でも不安定だからって期間延びても嫌だから耐えてた。独り声を殺して泣いてるってどこのフランシスだよとか思ったけど伝わらなさそうなのでいいや。(SCP-4231で検索)

 

3日(火)

リスカの処置をした看護師Tが下手っぴすぎて可愛く見えてきた。ガーゼの大きさ足りてないし、フィルムはぐしゃってなるし、ネットの大きさも足りてないし。マッシュ眼鏡のT君かわいい。自分で下手っていうのかわいい。「僕こういうのホント下手なんですよ...(笑)」マジ癒された。かわいい。

 

4日(水)

今日からOTだ。Rちゃんとギターの練習してた。解放時間もお昼の拘束が無くなって6時間になったからお茶が買いに行けるハッピー。ここに来てから自由のすばらしさと尊さを知った気がする。早く出たい。

 

5日(木)

本来月曜の診察がいつ来るかわからん状態。なんか連続で時間延びてもはや拘束時間消えた。ベルトはまだベッドに着いたままだけど拘束は無くなったやった自由だ。OTさんにアルペジオ褒められた。診察が来ないこと以外今日はいい日だった。

 

6日(金)

診察あった。退院は来週末辺りになるらしい。決まっただけいいね。部屋移動もして、ベルトも外れて私物が入るようになった。明日母がDr.キノコとの面談がてら届けに来てくれるらしい。電話で教科書とノート、論文用のテキスト持ってきて欲しいって言ったけどちゃんと言ったものが届くか怖い。

 

7日(土)

私物届いた。ちゃんと言ったものが入ってた。(クシ以外)仲良くなった患者さんのTさんが自分の事のように喜んでくれて僕も嬉しかった。色んな人に私服褒められて嬉しい。

お菓子はこんなに要らんのよ。気持ちは嬉しいけど、僕ここ来てから2kg増えてんの。

 

8日(日)

退院が火曜だと聞いた。え、早くね???

急性期のままだし任意入院になってないし大部屋にも移動してないのに早くね???

まぁ早く出れるのは嬉しいです。マジ刑務所。はよシャバの空気吸いてぇ。Twitterとかで「生きてるよぉ〜」って言いたい。LINEも絶対溜まってる。延びないようにしないと。

 

9日(月)

今日が最後のOTだった。友達がメッセージ付きの折り紙作ってくれた、本当に器用。

夜はTさんと音楽番組見てた。この曲は分かるよぉ〜とかあーこれしらんわーとか言ってた。少し寂しいけどこれも仕方ない事だなって。夜勤さんはあのめっちゃええ匂いするマッシュの看護師Iだった。「明日だね、頑張ろうね。」ってほんと涙出るかと思った。

 

10日(月)

RちゃんがインスタのID渡してくれた、即刻フォローする。Nちゃんの電話番号は暗記してあとからメモした(合ってた)。退院手続きクソ長かったけどちゃんと出れた、うん。

冷たい空気が美味しい。帰りKFCの期間限定ブラックホットチキン食べた。美味しかった。1度荷物置いてすぐギターとその他諸々買いに行った。しばらくは忙しくなりそう。

 

 

 

こんな感じで年末年始過ごしてました。冬休みまるまる入院生活ですよまじしんどかった。「リスカしたくない?」とか「死にたくない?」とかめっちゃ聞かれて気まずいし

いやぁぁぁぁぁぁってなりますよ。

よく耐えた僕。うん。よく頑張った。

皆さんもメンタルには気をつけてくださいね...

偏差値65のガリ勉が不登校になった話

はじめまして、sigmaです

突然ですがこんな僕でもそこそこ頭良かったんですよ。学校行かなくてもテスト受けたら90点とか余裕で取るくらいには頭良かったんです。

そんな僕は中学に入ってから不登校になりました。

理由としては色々あるんですが、大きかったのは「小学校のいじめ」と「家庭環境」です。

小2から卒業までいじめられてた僕ですが、親の不手際で受験申し込みができず、公立の中学に進んじゃったのでいじめっ子とも同じ学校に通わなきゃ行けなくなって嫌になったんです。

そんな僕を家族は「弱い」だのなんだの言うわけですよ。

元々両親から虐待紛いの事されてたのもあってそもそも信用は出来なかったんですが予想通りの反応と対応されて「あ〜...」

ってなりました(笑)

階段から落とされて落ちた先の子供に怪我させて謝罪する羽目になったら僕を責めた位なんでそんなもんですよ。

ノート破られても筆箱壊されても僕が悪いと疑わずずっと怒鳴られてきました。

それでも勉強は好きだったのでずっと家で教科書の問題解いたりしてました。

主に数学と理科(理系好きでした)

ずっと頭痛いって言ってきたので小児科連れてかれたりしたんですが頭痛薬と血圧上げる薬処方されてたんで信用はされてました。ラッキー()

でもそんなので不登校であることに変化が現れる訳もなく、学校に行かない事に納得ができない両親に怒鳴られ泣かれでこっちも尚更ストレス溜まりますよ。

ただでさえいじめられたトラウマとか大っ嫌いな家族と過ごさなきゃ行けない時間とかあるのに。

耐えきれなくて小6からリスカ始めました。中3の夏までバレませんでした。

その他首絞めとか瀉血とかやりながら趣味の勉強して何とか生きてましたが不登校は治りませんでした。治すものでもないなって、だって無理だもん。

精神科も僕が行きたいって駄々こねたから呆れて連れてってくれただけでマジ嫌々感半端なかったんですよ。

そもそも精神科行き始めたのはあれだけ大好きだった勉強も興味が薄れて、点数も偏差値も落ちてきてそろそろやべえと思ったからなんです。65が58になってこの前の模試で63まで戻しましたけど。

精神科行って診断貰ってもまだ納得いってませんでしたけどね(笑)

入院して初めて気づいたみたいです。

自殺未遂した時なんて逆に殺されると思うくらいには怒られましたけど(小5、中2、中3)。

退院してからは不登校だけは何とか黙認して貰ってます。カミソリとかカッターとか全部捨てられてたけど。

案外不登校でも勉強はできるもんですよ。

教科書とノート、学校で配られるワーク等あったらもう神設備ですよ。

塾とか僕は必要なかったですね(そもそもお金出してくれなかった)。

好きなことを好きなだけやるだけでそれは十分学びになってると思います。音楽勉強するとか、漫画とか本読んで物語勉強するとか、誰かと話してコミュニケーション勉強するとか、色々あるんです。

そもそも勉強なんて無理やりすることでもないし、学びたいと思った時学べばいいと思うんです。常識さえあればある程度生きていけますしおすし。

もし今見てる人が元不登校、現不登校なら別に気にすることでもないよって。向き不向きあるのは当然だし、道はいくらでも探せばありますから。